ハイドパークフェスを振り返って
ハイドパークフェスをやろうと決心したのは小坂忠の死だった。これはいろんなところに書いたし、ラジオでもしゃべったのでもう書かないが、とにかく4月28日に大阪にいたぼくは彼の訃報を聞いた時に、来年の4月にハイドパークフェスを復活させて、忠のトリビュートをやろうと決めた。これまで出会った若いバンドやシンガーたちにも声をかけ、あれから1年、17年ぶりのハイドパーク・ミュージック・フェスティバルが無事終わった。
今回スタッフは自分を含め6人という最少人数で手弁当で、17年前とは勝手が違うことばかり…本当に開催できるのかと周囲を不安にさせたと思う。もう開催は無理かもしれないって思った時もあったが、皆さんの激励とサポートでなんとか開催日を迎えることができた。ボランティアの方たち、地元や所沢の友人たち、公園の管理事務所の方たち、そしてトムス・キャビン時代からの音楽業界で仕事をしている方たち、行政の方たち、西武鉄道、さくらタウン、長年仕事をしてきたステージクルー、ステージ制作と会場設営のチーム!(4日間寝る時間もなかったと思う)それに出演をしてくれたミュージシャンとお客さん、みなさんの協力があって29日最初の笹倉慎介から30日最後の小坂忠トリビュートまで2日間、事故もなく終えることができた。
所沢のライブハウスMOJOの工藤君には色々と助けてもらった。叱咤激励してくれた彼のおかげで、充実したラインナップになったサブステージ<やまそら>や、入場時に演奏してくれたスティールパン・チームのウエルカム演奏、ライブ・ペインティングなどでフェス全体が一体感のあるお祭りになった。来場者がお腹空かないようにフードエリアを充実させたり、安心して子供たちを連れて来られるように、キッズコーナを設けたりと、工藤君と「暮らすところマーケット」所沢チームとのコラボのおかげで、来場者により安心してリラックスした雰囲気の中、フェスをエンジョイしてもらえたと思う。ご機嫌な生演奏と子供たちが緑の中で走り回る姿がみんなを平和な気分にしてくれた。
そして何より出演をしてくれたミュージシャンの皆さんには、感嘆と敬意と感謝の気持ちしかない。全ての出演者が独自の世界観で観客を魅了していた。来場者の方から「ベテランはもちろん初めて見たアーティストも、全部良かった」と言ってもらえた。今やハイドパークの名物となったトリビュートも小坂忠、加藤和彦、共に素晴らしかった。そしてムーンライダーズのステージも岡田徹へ捧げられた感動的なステージだった。
お客さんが、他の人に気を配ることができる人たちだったのもよかった。小さな落とし物を届けてくれたり、ゴミも持ち帰ってくれて、2日間、事故もいざこざもなく終えることができた。皆さんが絶対に来年もやりましょうと言ってくださったので、なんとか来年もやれるように頑張るつもりだ。来年に向けてのスポンサー集めや、クラウドファンディングを始めよう。
ぼくの個人的な想いで始めてしまった今年のハイドパーク・ミュージック・フェスティバルだったけど、そのぼくを支えて実現させてくれたすべての人に感謝。もうすぐ80歳になるロートル(Old Person)からもっと若いスタッフにバトンを渡してこのフェスが続いてくれると嬉しい。
ありがとう忠、そしてありがとう皆さん。
I hope to see you all next year!
PS: 旧友であるカメラマンの井出情児が撮影監督した、このフェスの特番がBSフジで放送になります。
7月1日(土)25:00 – 27:00
ぜひご覧ください。
PS II:アメリカ村時代からの仲間で、はっぴいえんどを撮り続けたカメラマン、野上君(野上眞宏)が写真を撮ってくれているので、それも楽しみにしていてください。
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル
プロデューサー
麻田浩
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Instrabram: https://www.instagram.com/hydeparkjapan/
HMF HP: https://hydeparkmusic.jp/
1976年トムス・キャビンを設立しデビッド・グリスマン、エリック・アンダーソン、ニューグラス・リバイバル、トム・ウェイツ等を招聘し始め、現在までトーキングヘッズ、B-52’、ラウンジリザーズ、ラモーンズからダン・ヒックス、ジミーウェッブ、キャレキシコまで日本に多くのアーティストを紹介している。
また90年代からNew Music Seminar, SXSWなどの海外フェスで日本人バンドのショーケースJapan Niteをプロデュースし、多くのバンドを海外に紹介している。