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人生を変えた1967年のニューポート・フォーク・フェスティバル体験

僕の音楽人生を変えた最大の出来事

話はアメリカ村から逸れるが、先に書いたマイク・シーガーに再会したのは、1967年のニューポート・フォーク・フェスティバル(*)だった。僕の音楽人生を変えた最大の出来事、ニューポート・フォーク・フェスティバルについて書いてみる。

(*)Newport Folk Festival Wiki(英語)

本当にたくさんのアーチストを見た

1967年のニューポートでは本当にたくさんのアーチストを見た。めずしいところでは、サラとメイベルのカーター・シスターズ、ビル・キースとリチャード・グリーンの入ったジム・クエスキン・ジャグ・バンド、レコードの出ていなかったレナード・コーエンとジョニー・ミッチェルとSSWのゴードン・ライトフットのカナダ勢。そしてトラック・ドライバー・ソングで有名なデイブ・ダッドリー、グランパ・ジョーンズ、オーティス・スパンが入ったマディ・ウオーターズ・ブルース・バンド、ビル・モンローとブルーグラス・ボーイズ、ケーティー・ヌービンと娘のロゼッタ・ソープ、ジーン・リッチー、バフィー・セインツ・メリー、ステイプル・シンガース、マール・トラヴィス、シッピー・ウオーレス(彼女はクエスキン・ジャグバンドとも演奏した)、へディー・ウエスト、ヤング・トラディシオン、ケイジュンのバルファ・フェレレス。

まだレコードの出ていなかったレナード・コーエンとジョニー・ミッチェル

特にすごいなと思ったのは、全く知らなかったロゼッタ・ソープやジョニー・ミッチェルとレナード・コーエンのカナダのSSW、二人ともその時点でレコードは出ていなかったが二人の個性は抜きん出ていて、その後の活躍を期待させるに十分のライブだった。ベテランから新人までを見ることが出来た。

この時の経験が、後の仕事や趣味に大きく影響したことは間違いないと思う。どんな音楽にも興味を持てるようになったのは、こういう雑多な民族音楽を聞けたことで、音楽に関する僕の垣根が取り払われたような気がする。

バッファロー・スプリングフィールドがキャンセルとは!

ただひとつ、今思うと残念なのは、出演を予定されていたバッファロー・スプリングフィールドがキャンセルになったことだ。もし、この時に彼らを見ていたら、僕の音楽感も変わっていたかもしれない。でも、この年のスターはなんと言ってもアーロ・ガスリーだった。アリスのレストランは大ウケだった。ウッディ・ガスリーの息子ということなど関係なく、若きアーロは彼自身のキャラクターで若者を虜にしていた。

後のトムス・キャビンへの繋がりができたフィラデルフィア・フォーク・フェスティバル

僕はそのすぐ後に行われたフィラデルフィア・フォーク・フェスティバルにも行ったのだが、当時は日本料理店での仕事をやっていたので、土曜日の仕事のあとにバスでフィラデルフィアに向ったから日曜日のショーしか見れなかった。金曜日には、僕が一番好きだったフォークグループのルーフトップ・シンガースやドック・ワトソンなども出ていたのだが、見ることはできなかった。ただ、日曜日にはエリック・アンダーセン、キャロリン・へスター、サン・ハウス、Jr.ウエルズのブルース・バンドなどを見ることができた。エリックは奥さんのデビーと一緒で二人と話すことができ、後のトムス・キャビンの繋がりがそこでできた。

-つづく-

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