この地で生まれた「音楽の種」を伝えていく強い意思 by 高橋文也
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル(以下HPMF)開催の2週間前、下北沢の音楽バー「ラ・カーニャ」で、NYブルックリン在住の17歳のバンジョー弾きノラ・ブラウンの来日公演を見ました。
彼女を招聘したのはトムスキャビン麻田浩さんで、麻田さんご自身による恒例の前説で「ブルックリン地区には、古いアメリカの様々なルーツ音楽を伝えて行こうとしているコミュニティがあって、ライブハウスや音楽教室、さらには音楽フェスも毎年開催されていて、そんな環境の中で育ったのがノラ・ブラウン」ということでした。彼女のような、古い音楽を若々しい感性で蘇らせている姿を、日本の音楽ファンにも生で見てもらいたいという熱い意志が伝わる前説でした。
会場のラ・カーニャは、18年前の最初のハイドパークフェス開催の記者会見の会場だった場所でもありました。
そして2023年4月29日、HPMFのメインステージのオープニングを務めた笹倉慎介さんの1曲目は、細野晴臣さんのカバー「恋は桃色」!
この曲は、ちょうど50年前、1973年5月に発売された『HOSONO HOUSE』に収録され、2005年の大トリだった細野さんのステージでも披露された名曲です。しかもこの曲が作られ録音されたのは、この仮設ステージの裏の森のすぐ向こうの細野さんの家。
♪ ここは前に来た道 川沿いの道
雲の切れ目からのぞいた
見覚えのある町
十数年前ぶりに訪れた狭山の町のことを歌ったような歌詞を聴いていると、細野さんの家のすぐ隣に小坂忠さんの家があったことなどが思い出され、歌がちゃんと歌い継がれていくことに、なんだか胸が熱くなりました。
麻田さんの思いがしっかり反映されたオープニングでした。
それに忠さんの命日でもある4月29日に、遥か遠く米国ルイジアナのニューオリンズで半世紀以上続く音楽フェス「NewOleans Jazz & Heritage Festival」も3年ぶりにリスタートしたことも、偶然とはいえある種のシンクロニシティを感じたりもするのです。
この歴史あるフェスは、ニューオーリンズで誕生し、その後米国ポピュラー音楽の屋台骨となったジャズを大きなheritage(遺産)として捉えて、後世に伝承していくことを目的としていて、そのコンセプトは、まさにHPMFが、この場所で生まれた音楽や文化を後世に伝えようとしている姿勢と重なっていたからです。
1日目のトリのムーンライダーズは、2月に亡くなったメンバー岡田徹さんを追悼する『あの娘のラブレター』でスタート。最後の曲は、岡田さんが愛してやまなかったトム・ウェイツ “Grapefruit Moon” を、生前の岡田さんのピアノ演奏をバックにメンバーが一節ずつ歌い繋いでいくという演出で、涙なしに聞くことができませんでした。
麻田さんと岡田さんはかつて狭山でご近所だったそうで、この曲を一緒に何度も聴いていたそうです。
そのほかにも、きたやまおさむさんや松山猛さんも登場した加藤和彦トリビュートバンド、ご両親が西岡恭蔵夫妻と交流があってご自分でも直接影響を受けたというイーノマヤコさん、大滝詠一さんの「指切り」を披露した関口スグヤさん、リトルフィートやニール・ヤングなど70年代米国ロックの隔世遺伝のようないーはとーゔ、日本の民謡とラテンリズムを融合させた民謡クルセイダーズなどなど、至る所で「良い音楽」をずっと歌い継いでいこうという意思が感じられるステージが続きました。
メインステージでもサブステージでも、さまざまなジャンルの音楽が披露されていて、どのパフォーマンスでも小さな子供たちからおじいさんの世代の方たちまで年齢性別の垣根を超えて、手拍子をし、体をリズムに委ねて自由に音楽を楽しんでいる様子がとても気持ちの良いフェスでした。
2日目の大トリ、小坂忠トリビュートバンドの最後の曲は、出演者全員での「ありがとう」。
この曲は1971年の忠さんのソロデビューアルバムに収められていた、忠さんと細野さんの友情の証しのような曲で、2005年のHPMFの細野さんのステージでは、小坂忠さんが登場して細野さんとデュエットで披露されていました。
細野さんの曲でスタートして、忠さんと細野さんのデュエット曲で終わったことが、この町で生まれて広がっていった音楽の種を、後世にずっと伝えていこうというこのフェスの意義を象徴しているように感じられたのでした。
この素晴らしいフェスがずっと続くことを心から願うばかりです。
高橋文也
高橋文也
広告/映像ディレクター
1956年7月9日生まれ。
中3の時にはっぴいえんどを聴き、細野さんと誕生日が同じだと知って以来、はっぴいんどやはちみつぱい周辺と、彼らが影響を受けた洋楽に親しむ。大学時代からそのあたりのカバーバンドを続けて現在に至る。