Side Story
バトンを繋ぐハイドパークフェス!僕も!by 関口スグヤ
思い出すたびに胸がいっぱいになるハイドパークフェス。 人の温もりも、公園の大自然も、写真で見た70年代の風景のまま。およそ半世紀もの間、たくさんのファンによる熱い想いが、大切な音楽を受け継ぎ、このフェスを復活させたんだな…
ハウスの時代:音楽と共鳴する過去と未来 by 栗原良子
黄金週間の始まりに、隣駅、稲荷山公園で開催されたHMF(ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル)へ行った。野外フェスは初めての体験である。ハイドパークとよばれるこの広大な緑地公園は、かつて米軍居留地であった。一九六三…
時空を超えて音楽と繋がる体験:HMF2023 By 朗(Aki) DJ/選曲者
私が育ったのは「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」(以下HMF)の会場である狭山市の隣。 家ではFEN(米軍のラジオ局)が流れ、基地の一般開放日には家族で遊びに行くこともあり、この土地での暮らしを通して、子ども…
西武鉄道沿線・西埼玉エリアに蓄積した文化のネットワーク by 藤村龍至
ハイドパークミュージックフェスから戻り購入したブックレットを読む。会場となったハイドパーク(稲荷山公園)周辺は戦前の陸軍航空士官学校が戦後アメリカ軍に接収されジョンソン基地に、1950年朝鮮戦争で米軍住宅が建設された土地…
この地で生まれた「音楽の種」を伝えていく強い意思 by 高橋文也
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル(以下HPMF)開催の2週間前、下北沢の音楽バー「ラ・カーニャ」で、NYブルックリン在住の17歳のバンジョー弾きノラ・ブラウンの来日公演を見ました。 彼女を招聘したのはトムスキャ…
ハイドパークフェスを振り返って
ハイドパークフェスをやろうと決心したのは小坂忠の死だった。これはいろんなところに書いたし、ラジオでもしゃべったのでもう書かないが、とにかく4月28日に大阪にいたぼくは彼の訃報を聞いた時に、来年の4月にハイドパークフェスを…
ずっとハイドパークに出演して欲しいと思っていたデイヴィッド・リンドレーが亡くなった
デイヴィッド・リンドレー(David Lindley)が亡くなった。 彼に最初にあったのは1973年、今は無いシカゴのクワイエット・ナイトという小さなライブハウスだった。当時彼はジャクソン・ブラウンの2枚目のアルバム『F…
Hyde Park Music Festival 2023開催のお知らせ
11月1日に記者会見を行い、来年の4月29日(土) 30日(日)にハイドパークフェスティバル17年ぶりの復活開催を発表しました。ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルに関しては、多くの方から再開を望むメールをいただい…
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