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ついに完全な形のムーンライダーズが登場する!

2023年2月23日【追記あり】

今年のハイドパーク・ミュージック・フェスティバルについに完全な形のムーンライダーズが出てくれる。過去のハイドパーク・ミュージック・フェスティバルにもメンバーの何人かは出演してくれているが、売れっ子のグループだから仕方ないんだけどフルメンバーのムーンライダーズではなかった。

そんな中、慶一君は2回ともスケジュールを調節して出てくれた。2005年に、鈴木慶一/鈴木博文/武川雅寛の個人の名前で出てくれた時も(サポートはギターの星川君と徳武君、フルートに国吉君、ドラムに島村君)、降っていた雨を吹き飛ばすように「No Rain! No Rain! 」と叫んでくれた。

写真:Rieko Oka

また、岡田くんは元狭山アメリカ村の住民だ。はちみつパイの和田君やラストショーの徳武君も70年代に一緒に狭山に住んでいた。その頃僕のレコーディングにも参加してもらっている。

そして、最近ピチカート・ファイブの小西康陽がプロデュースしてくれた僕のシングルにも慶一君がコーラスで参加してくれた。またいつでもチャンスがあれば、慶一君に協力してもらいたいと思っている。とにかく岡田君も元気になったみたいだし、今回ハイドパークで初めての完全なムーンライダーズが聴けることがすごく嬉しい。


【追記】2023年2月23日

僕が上記の原稿を書いていた2月14日に、岡田君は心不全で永眠していた。
信じられない。

岡田君は、はちみつぱいの和田君の狭山の家に遊びに来たのがきっかけで、狭山が気に入って住むようになった。僕の二枚目のアルバムのレコーディングも和田君や徳武君と一緒にやってくれた。

家にも何回も食事に来て女房同士(そうだ、あの頃彼らはまだ結婚していなかった)すごく仲良くなって、僕ら夫婦は岡田君の仲人をやった。その後彼らは横浜に移り住み、でも時々一緒に食事行ったりした。

友達だった。

時々メッセージを送ってくれた。
「圧縮骨折でリハビリ励んでます。ハイドパークフェス目指してがんばります!」

そして岡田君から来た最後のメッセージは、
「狭山の日々懐かしいです。今思えば夢のような日々でした。」

4月29日は、岡田君は僕らと一緒に、ムーンライダーズと一緒にハイドパークにいると思う。

合掌

麻田浩

moonriders

1976年「火の玉ボーイ」でデビュー。以来、コンスタントにリリースを重ねる。1986年から約5年間にわたり活動を休止したが、1991年にアルバム「最後の晩餐」で活動を再開。昨年11年ぶりにアルバム「It’s the moooonriders」を日本コロムビアからリリースした。つねに新しい音楽性を追求するサウンドは、同年代だけでなく数多くのアーティストにも影響を与えている。また、各メンバーが積極的にソロ活動も行い、それぞれプロデュースや楽曲提供など多方面で活躍中。



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