80年代後半のモッズムーブメント出会った田島貴男
田島貴男を初めて見たのは新宿JAMでやっていたモッズ・メーデーだったと思う。
JAMの周辺に、M51のパーカーを着てベスパやランブレッタに乗ったイギリスのモッズ風に決めた若者が集まって、ここは東京だというのが信じられないくらいの盛り上がりを見せたイベントだった。あのイベントは「モッズ」という言葉でくくられていたが、モッズというカテゴリーを超えた個性的なバンドが多く出ていた。
僕は、マネージングする新しいアーチストを探しにJAMに行っていて、コレクターズとストライクスをやることにしたが、他にもワウワウ・ヒッピーズ、ファントム・ギフトや田島君のバンド、レッド・カーテン(もうオリジナル・ラブとして活動を始めていたかも)など面白いバンドがいた。
田島君はその頃からすごく良いヴォーカルだと思っていた。だからその後ピチカートをマネージメントすることになって、ヴォーカルを変えるという時に小西康陽が田島でやりたいといった時にはすぐ賛成した。
その後、田島君はピチカートを離れてオリジナル・ラブとしてやっていくことになったのだが、なかなか売れず、昔トムス・キャビンで働いていた近元君が始めたHIFI RECORDSでバイトもしていた。その頃は、トムス・キャビンの外タレのライブの手伝いや機材車の運転などのアルバイトもしてもらった。確かカーティス・メイフィールドのツアーで運転手をやってもらったと思う。
そんな彼も今や堂々たるメジャーアーチスト。だが今でも、えっ、こんな曲やるの?っていう驚くような挑戦をして僕らを楽しませてくれるのがすごい。それに、常にに新しいことに挑戦しているアーチストとしての姿勢には頭が下がる。
彼が狭山に来るのは、僕のロードバイクに乗りに遊びに来て以来だと思うけど、久しぶりの彼の歌が狭山で聴けるのが待ち遠しい。
2023/2/15記
1976年トムス・キャビンを設立しデビッド・グリスマン、エリック・アンダーソン、ニューグラス・リバイバル、トム・ウェイツ等を招聘し始め、現在までトーキングヘッズ、B-52’、ラウンジリザーズ、ラモーンズからダン・ヒックス、ジミーウェッブ、キャレキシコまで日本に多くのアーティストを紹介している。
また90年代からNew Music Seminar, SXSWなどの海外フェスで日本人バンドのショーケースJapan Niteをプロデュースし、多くのバンドを海外に紹介している。