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当時は無名のミュージシャンの狭山コミューン、小坂忠・細野晴臣・洪栄龍・はちみつぱい・吉田美奈子 etc

アメリカで買ってきた3000枚のレコード

僕の狭山のハウスには、それまでにアメリカで買ってきて集めたフォークやロックのアルバムが3000枚くらいあったから、時々友人たちが集まってコーヒーを飲みながらそれらを聴いたりしていた。ちょうどこの頃ジェームス・テイラーが来日したので、僕らアメリカ村の住民もこぞってジェームス・テイラーのレコードを聴いていたものだ。

近所には小坂忠のバックバンドだったフォージョーハーフ(四畳半)が、ハウスの一軒を借りていた。練習が遅くなったりするとそこに泊まったりしていたが、スティールの駒澤君だけはそこに住んでいたと思う。

その後、元はちみつぱいの和田君がそのハウスをシェアするようになって、駒澤君が出たあともそこに住んでいた。和田くんは、それまで確か吉田美奈子が住んでいた入間市のハウスをシェアしていたと思う。

趣味人「はちみつぱい」の和田くん

和田くんはかなりの趣味人で、コーヒーを入れさせればプロ顔負けだったし、今や日本を代表するオーディオ評論家だが、当時からオーディオに関しては詳しかった。僕のオーディオは全て彼に相談し、おすすめのJBLのL300という、上にガラスが置いてあるスピーカーに変えた。また当時入間市にあったスーパーが閉店するということで、オーディオ売り場の閉店セールでオルトフォンのSPUというピックアップを買った。これも和田君のおすすめだった。こうしてぼくの家のオーディオは格段に良い音になり、以前にもましてみんながレコードを聴きに来るようになった。

楽しみな食事会と「Hosono House」レコーディング

細野君の狭山レコーディングが始まったのもこの頃だったと思う。吉野さんというエンジアが買ったコンソールなどが細野家に持ち込まれた。ただ細野君も忠も洪栄龍の乱魔堂も吉田美奈子も僕も、いわゆる狭山アメリカ村のミュージシャンは皆そんなに売れてなかったし時間もあったので、今日は誰それの家でご飯を作るからというと、そこへ集まって食事会になった。僕は、小坂忠の奥さんのペンのお母さんが作る中華が大好きで、忠の家の食事会が楽しみだった。

コミューンのような生活が話題に

あの頃はだんだん狭山にミュージシャンやデザイナーが住んできていて、コミューンのような生活をしていることが評判になり、雑誌の取材もされるようになった。僕の家も「生活の絵本」という雑誌に取材され、カラーページで紹介された。東京の友人たちもそういう評判を聞いて狭山にやって来るようになった。

WORKSHOP MU!! の連中と野球大会をやった時に、昔のバンド仲間のマイク真木も遊びにきて、野上君(Mike Nogami)が撮った写真に写っている。

-つづく-

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