西武鉄道沿線・西埼玉エリアに蓄積した文化のネットワーク by 藤村龍至
ハイドパークミュージックフェスから戻り購入したブックレットを読む。会場となったハイドパーク(稲荷山公園)周辺は戦前の陸軍航空士官学校が戦後アメリカ軍に接収されジョンソン基地に、1950年朝鮮戦争で米軍住宅が建設された土地。1958年から1978年にかけて返還が始まり日本人へと破格の値段で貸し出されミュージシャンが多く住み「狭山アメリカ村」となった。
そこで多くのミュージシャンが輩出され細野晴臣などもそのひとりである。狭山アメリカ村に縁があるミュージシャンらが集まり2005年にここでフェスが開かれたが翌年で中止となり、今日17年ぶりに開かれた。プロデューサーの麻田浩さんを会場で見かけた。
米軍住宅の貸出が行われていた頃はちょうど団塊の世代が20代の頃。細野晴臣の『HOSONO HOUSE』の収録が行われたのも1973年。ハイドパークの返還は1973年、開園は1976年。ちなみに所沢基地の返還は1971年、航空公園の開園は1978年。1970年代の末に西武鉄道沿線にほぼ同時に巨大な公園が生まれたことになる。
今回のフェスは飲食やキッズエリアも充実していたが、2010年代後半に航空公園で定番化した「暮らすところマーケット」まわりのチームがサポートしているとのことであった。西武鉄道沿線にあるふたつの米軍基地由来のハイドパークを舞台に育った新旧のカルチャーが共演した、正しく歴史的で地域的なフェスとして構成されていた。
西武鉄道沿線には1960年代の西埼玉に集積したアメリカンカルチャー、1980年代のセゾンカルチャーのあと、2000年代以降はやや空洞化していたようにも感じられるが、2005年の稲荷山公園でのミュージックフェス/2010年代後半からの航空公園でのマーケットが米軍基地の記憶を由来として/引き継ぎながら新しい世代のカルチャーを徐々に育ててきたのかもしれない。
その意味でこのフェスは数多くある「公園利活用の事例」のひとつとするにはあまりにもったいない。この日のフェスの会場に感じられた独特の「重み」や「厚み」は、他の商業フェスや商業マーケットイベントには感じられない独特のものだった。西武鉄道沿線・西埼玉エリアの価値を作る、独特の歴史が蓄積した文化のネットワークの表出と捉えたほうがよいのかもしれない。
藤村龍至
藤村龍至
建築家/東京藝術大学准教授。建築設計事務所RFAを主宰。1976年東京都生まれ、幼少期より埼玉県所沢市にて育つ。所沢市景観審議会会長を務めるほか、さいたま市大宮、鳩山町、川越市など埼玉県内各地で公共施設、まちづくり関係の委員会等へ参画。http://ryujifujimura.jp/