columns
コラム
日曜日大工ブーム到来!素人大工さんが作ったトムの小屋(Tom’s Cabin)
ジェームス・テイラーの影響からはじまった 狭山のハウスは当時どんなに改装しても良いといわれていた。僕は息子の誕生祝いのご祝儀にユーティリティールーム(家事室)を作ろうと思い立ち、近所の友人たちに手伝ってもらって小屋を作っ…
「踊ってばかりの国」との出会い
印象に残った下津君のソロパフォーマンス 僕が「踊ってばかりの国」を知ったのは、下北沢440で見る前に、キーポン君がオープナーで出たイベントで下津君のソロを見たことがきっかけだった。それがすごく良くて彼のバンドを見に足を運…
“おじさんキラー”だな、関口スグヤ君は(笑)
KEEPONの自作自演に驚き キーポンという面白い子がいるということは随分前から聞いていたのだが、実際に彼の演奏を聞いたのは、何人かの若いシンガーソングライターが出たイベントだった。そのときに出しているCDを全部もらった…
70年代 表参道セントラル・アパートの文化人が狭山に引っ越してくる
学生時代のバンド仲間、渡辺かおるが狭山に遊びに来てVANとMU!! が繋がる 狭山に引っ越してすぐの1972年頃、学生時代のバンド仲間である渡辺かおるが、時々狭山に遊びに来るようになった。多分、かおるはワークショップMU…
WORKSHOP MU!! が教えてくれたのはアメリカンアートから日本の古き良き文化や骨董
狭山に移り住む前の僕は、音楽は洋楽、車は外国車、ラジオはFENとほとんど外国かぶれ状態だった。僕が狭山に移り住むきっかけを作ってくれたデザイン事務所、ワークショップ MU!! の連中もそうだと思っていた。ところが、彼らと…
人生を変えた1967年のニューポート・フォーク・フェスティバル体験
僕の音楽人生を変えた最大の出来事 話はアメリカ村から逸れるが、先に書いたマイク・シーガーに再会したのは、1967年のニューポート・フォーク・フェスティバル(*)だった。僕の音楽人生を変えた最大の出来事、ニューポート・フォ…
いーはとーゔ の新しい音源を聴いた
いーはとーゔ の新しい音源を聴いた。今までもPaul Butterfield’s Better Daysの「Buried Alive in the Blues」やサム・クックの曲など渋いカバーをしていたが今度…
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのマイク・シーガー来日ツアーの司会とツアマネに指名される
狭山に移り住んだ頃(1970年頃)はどんな仕事もやっていた。雑誌ガッツのレコード評の連載、シンガーソングライターのライナーノーツを書いたり、キョードー東京や労音の外タレの司会件ツアーマネージャーなどをやりながら、時々自分…
1974年、狭山 鵜ノ木はヒッピー村と呼ばれていた
狭山市鵜ノ木の米軍基地のハウジングエリアに、ワークショップMU!! に続いて僕、それから小坂忠、細野晴臣と言ったミュージシャン関係の若者が、次々と移り住むようになった。 アメリカ村と呼ばれていたこのエリアは、長髪の得体の…
1972年、狭山ハイドパークの米軍アメリカンハウスへ
僕が狭山の米軍ハウスにに引っ越したのは1972年だったと思う。確かその前年ににワークショップ MU!! の連中が狭山に移って、アメリカンハウスという当時狭山にあったジョンソン基地の米軍居住地に作られた、一戸建てのかなり大…
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