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トノバンズ物語:加藤和彦トリビュートバンド By 平松稜大(たけとんぼ)

「駱駝」が終わり、松山猛さんが登場。つづいて、ゲストボーカルの皆さんがステージに戻ってくる。

「君なくしてフォーククルセダーズはなかった!」きたやまさんが言った。松山さんが作詞者である「ヨッパライ」がなくても、そして、次に歌われるこの曲がなくても、きっと今日(こんにち)のフォークルの姿は、いまとは随分ちがった形になっていたことだろう。

「イムジン河」。僕がうまれるよりずっと昔から、あらゆる人の思いをのせて時代の河を流れてきた歌だ。

原詩から他のミュージシャンがカバーしたものまで含め、共通して変わっていない部分がある。それは、故郷を遠く離れ、帰ることのできない悲しみ。国やいくさという大きな力によって引き裂かれる痛み。時が流れても、この歌が説得力を持ってしまうことの重さを思いつつも、今日の役者の勢揃いに興奮しながらギターを弾いた。

リハーサルで、きたやまさんがこう言っていた。

「みんなこの歌(の最後のサビ)は『3回歌いたい』のよ。でもね、2回しか歌わせなかった、アイツ。けれど、もういないから実現できてしまう。いないからこそできることをやる。それも大げさに、大層に」

生前、ライブの最後にはみんなで歌って大団円、という予定調和を嫌っていたがために、そういったイベントへの出演や、まして最後のサビをくり返すなんてことは決してしなかった加藤和彦。遺書にも、追悼番組やトリビュートなぞやってくれるなと書いていた、その約束をあえてやぶった盟友、北山修。とりかえしのつかないことをするな、悔しかったら帰ってこい、これが我々の特権だ。そう言い聞かせるように、きたやまさんは幾度となく語っていた。

「ご唱和くださいね」

本編最後の曲「あの素晴しい愛をもう一度」。
ここで、最後のちょっとしたトラブルが発生する。
この曲は原曲はB♭なのだが、男女混成で歌うことからキーを半音下げて調整していたのだが、この変更が坂崎さんに伝わっておらず、イントロでAキーとB♭がぶつかってしまう事故が起きた。しかし坂崎さんの反応は早く、最初の1小節を鳴らした瞬間にすぐにカポタストをずらしてキーを即座に合わせていた。キーがぶつかると、音が混ざり合っていることもあり自分が高いのか低いのかすぐにわからないことも多いのだが、この反応速度。さすが、の一言につきる。ともあれトノバンズならびに運営サイド、これ、連帯責任です。

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